前回紹介しました 江戸川乱歩「人間椅子」要約

今回はその考察をしていきたいと思います。

江戸川乱歩が何を描きたかったのか。

「人間椅子」は何を伝えているのか。

今回は宮本和香子 (2016) の引用を用いて紹介したい。

引用

「江戸川乱歩『人間椅子』論―エログロという評価と心理的盲点―

[文学考察] 江戸川乱歩「人間椅子」

この論文では, 椅子職人の男にとって, 椅子の中が人間社会より快適だったのか, その理由を考察します。

また, エログロ小説という本作に対する一般的な評価は的確であるのかを考えるものです。

さらに, 椅子職人に焦点を合わせ, その心理についても考察しています。

その心理が心理的盲点です。

江戸川乱歩と言えば, 推理小説ですよね。 (作品:明智小五郎, 少年探偵団)

しかし, エログロ・ナンセンスも評価されていたのです。 (作品:屋根裏の散歩者, 盲獣)

その中でも人間椅子はとても人気です。

江戸川乱歩はこの「人間椅子」のアイデアを思い浮かべたとき,

なんてくだらないことを考えるのだ。

と思ったそうですが, 一方では, 気になって家具屋へ行き,

「人間が隠れられるでせうか」

と尋ねたそうなんです。

さらに, 「人間椅子」ができる過程の中では,

タイトルが「椅子になった男の話」という案もあったそうなんです。

しかし, 実際は「人間椅子」です。

理由は,

「椅子になった男の話」であれば, 人間としての男が物語の主体であるという印象をつけられますが, 「椅子」に修飾語がついている「人間椅子」というタイトルは, 椅子が物語の主体であることを表せられる

ということなんです。

江戸川乱歩のこだわりを感じますね。

「人間椅子」は, 海外翻訳もされており, Ranpo Edogawaで人気を博しているのですが,

海外からはこんな評価もあるそうです。

宮本 (2016) によれば,

コネチカット大学のマークシルバーら (2008) は,

「椅子職人が椅子の中から白人女性に慕情を寄せる行為とは, 日本人である椅子職人が, 白人女性に対し現実世界では対等に向き合えないことを示し, 肘掛椅子の内部に隠れる行為は, 西洋の事物に内包されたいと願う心理の発露である」

と説明しているんです。

つまり, 椅子職人は, 見たことのない西洋への憧れを持っていた。

男性は自身の見た目に自信がなかったのだが, 椅子の中へ隠れることで, 椅子に座った西洋人に大胆な行為を行うことができたのではないかということなんです。

別の言い方をすると, 自身の見た目に臆病な振る舞いをする動機がなくなったからではないかということなんです。

ここでは, 少し椅子職人の心理についてどんどんと近づいていく気がしますね。

臆病なふるまいをせざるを得なかったということなのでしょうか。

さあ, 次に, 椅子職人が隠れることとは, どういう意味を持つのかについてお話します。

椅子職人は作中で

「隠れ蓑でも着た様に, この人間世界から, 消滅してしまう」

と説明しています。

作者江戸川乱歩は, 作品「透明の恐怖」(昭和31年10月『別冊文芸春秋』) において,

「自分のからだを見えなくするということは, 人類何千年の夢であった。 (中略) わたしはこれを『隠れ蓑願望』と名付けている」

と述べています。

この文章は「人間椅子」の「椅子の中に隠れる」という言葉が連想されますね。

つまり, 椅子職人にとって, 椅子の中へ入ることは, 劣等感から解放される瞬間だと考察したいわけです。

劣等感が解放されたことで, 大胆な振る舞いをするようになったと考えられます。

乱歩の他の作品にも

意外な物に隠れる

作品が多いんですね。

「黄金仮面」

ルパンが鎧兜に隠れて, 人気がなくなると盗みを働いた。

「お勢」

病弱な男がかくれんぼの最中に長持ちに隠れる。

「孤島の鬼」

殺人の命を帯びた少年が大きな花瓶に全身を隠す。

「怪奇四十面相」

明智小五郎の助手小林芳雄が西洋の百科事典の背表紙に化け, 本棚に隠れる。

等があります (宮本, 2016, 注釈)。

江戸川乱歩はなぜこのような作品を多く描いていたのでしょうか。

続いて, 心理的盲点についてです。

宮本 (2016) によれば心理的盲点とは

「自分にとって重要ではないと判断した情報を無意識のうちに認識外に追いやり, 重要であると判断した情報しか認知していないことである。

乱歩自身は

「『透明の恐怖』において, すぐ近くにいる, もしくはあるにもかかわらず, 先入観のため認識されず誰も気づかないでいる状態を透明になっていると表現し, 透明になっているとh心理的盲点に入っていることだ」

と説明しています。

「人間椅子」における心理的盲点とは, 椅子の中に人が入っているはずがないと信じ切っている人々によって, 職人を透明にした。」

ということになります。

ここで何が言いたいのかというと,

視覚なんてあてにならない

というのが1つあります。

もちろん, 椅子職人の恋愛が, 視覚ではなく, 嗅覚や触覚によるもののため, この作品がエログロと評価されることになりました。

しかし, 視覚は本当に絶対的なものでしょうか。

外見は人間の絶対的価値ではなく, 多数の価値基準の1つに過ぎないことを示しているとは考えられないでしょうか。

少なくとも, 椅子職人はそう感じたに違いありません。

宮本 (2016) は最後にこの作品を次のように結論付けています。

「『人間椅子』とは, 変態趣味をテーマとしたエログロ・ナンセンス小説ではなく, 視覚に頼らない外界認識によって問題解決が実現する過程を描いた小説であると結論付けられる。」

以上。

今回は, 「人間椅子」の1考察を紹介しました。

もっと色んな見方ができるのは確かですが, それは読者に任せるのが良いでしょうね。

次回からはもっと江戸川乱歩作品や乱歩自身の紹介でもいいかもしれませんね。

太宰治については, 壮大なテーマなので, もっとリサーチを続けてからにしたいと思います。

匆々。

引用

・宮本和香子 (2016) 「江戸川乱歩『人間椅子』論―エログロという評価と心理的盲点―」京都大学国文学論業 35 : 103-112

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